DD54型ディーゼル機関車の思い出

京都鉄道博物館に展示中のDD5433


昭和40年代のはじめ、(新)三菱重工によって西ドイツの技術を取り入れたディーゼル機関車が作られた。量産型はDD54型といい、全長15.3m、70tの小柄なボディーで、最大出力は2千馬力、国産では作りえない性能を有し、山陰本線、播但線などで使用されたが故障が続発し、昭和53年に引退となる。


急行おき号 脱線事故
昭和43年6月28日 午前3時39分頃、山陰本線湖山駅で発生した脱線事故。

曇天の朝、湖山駅に横たわる巨体


概要

下り急行おきは、鳥取駅(旧駅)を定時に発車、DD542の牽引で2位が先頭、千代川橋梁までは上り勾配が続き17ノッチで力行、千代川を渡り終えると下り勾配となる。徳吉踏切(手回し遮断機を持つ第2種踏切で、夜間は遮断機が閉じたままとなっていた)通過で力行切りとなった。 このあたりから、線路上に部品の落下が認められた。岩吉踏切(西鳥取運転区開業で廃止)通過し場内信号確認付近で常用ブレーキを操作したところ、大きなショックを感じ急制動を扱った。湖山駅東側の21番ポイントで脱線、機関車は横転し、続く荷物車、寝台車も脱線した。横転した機関車から推進軸が脱落していた。 新聞記事では「キー」「ゴー」と轟音がしたとなっているが、離れた所で聞いた音は「バタバタバタ」という感じであった。しばらくして、サイレンが鳴り、消防団の招集がかかった。近隣の住民がおにぎりの炊き出しをした。当日は小雨も降る曇天であった。 当時は、鉄道事故調はなく、近隣の鳥取大学工学部、川越教授が現場を視察し、ギアボックス付近でトラブルが起きたことは間違いないとの見解を示した。 復旧作業は操重車ではなく、クレーン車を使って開始された。DD542は、吊りヒモが巻かれてクレーンで移動させて、レールは損傷部のみを切断して短尺レールを溶接、脱線から19時間後、1番線が開通した。

スロ54と衝突したオロネ10 A寝台車

目前で起きたDD54脱線事故であった。それから10年後の昭和53年6月、DD54は引退になったが、その際に出雲号の牽引で思い出のあったDD5433の保存をお願いして、実現することとなった。 最後まで運用されたDD54 は4両で、昭和53年8月に休車となり、一時は復活をご検討いただいたが、結局は全機引退となった。その全てが終わった後になって、選挙で大敗した政党の議員が、国費の無駄遣いである云々と国会質問し、それを聞きかじった、ディーゼル機関車の開発運用の実態や苦労も知らない世代から批評批判を受けることになった。 また、労働組合が欠陥機関車の証拠を残すためにDD5433を保存したとする、根拠の無い流布が鉄道雑誌に掲載された事があったが、前述とおりDD5433は、引退前に解体しない方針が決まっていたものであり、私から編集部へ実際の経過をお伝えした。 昭和59年、国鉄が本気の刷新を進め、エギゾチックジャパンのCMが流れていた頃、DD5433は大阪弁天町の交通科学館へ移送され、準鉄道記念物として保管、展示が始まった。


寝台特急出雲 浜田 最終列車出発式  


主要性能

排気量 V型16気筒 86 リットル

エンジン 西ドイツ マイバッハ社 ライセンス品 DMP86Z

変速機 西ドイツ メキドロ社 ライセンス品 DW5

軸形式 B−1−B

重量 70t

最高速度 95Km/h

連続定格出力(100時間)1820 P.S. / 1500r.p.m. 3.52kg/p.s. 1時間最大出力2000 P.S. / 1650 r.p.m.

短時間最大出力 2200 P.S. / 1800 r.p.m.

変速機入力 1660 P.S. 1500r.p.m. トルク 792Kg.m

潤滑油量 300 L

燃料容量 2000 L

山陰本線 京都〜浜田、大社、伯備、舞鶴、福知山、播但、山陽本線、東海道本線に入線。

昭和51年4月20日、544列車で、DD54+DD51+DF50の回送のための三重連がみられた(DD54は非重連)。


仕様変更

DD541 〜3  DW5 1660 P.S./ 1500r.p.m.

DD544 〜8  タコメーター取り付け 機関クランク腐食対策として シリンダーライナー Cr メッキ → Alメッキ   

           中間台車 TR104A 動台車 DT131E 蒸気発生装置 SG4A へ変更

DD549 〜15 ATS未投入防止、警報持続、静油圧ポンプモーターをトマフレックス型へ

DD5416、17 (昭和44年5次債務))空転検出、逆転機にAG17発電機

DD5418〜24 (昭和44年民有車)EB、TE 取り付け

搭載されているエンジン、国鉄名称DMP86Z(MD870シリーズ)の出力は、変速機入力に対して、補器損失を差し引いても過大であったようです。変速機のほうは戦車用途などでは実績もあったようです。

京都鉄道博物館での展示を知らせるポスター